香樹院語録を味わう

江戸末期の真宗大谷派講師、香樹院徳龍師の語録を読んでまいります。

親鸞の御臨末の御書

香樹院語録 208―2

    ▶御臨末の御書より
我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。我なくも    法は尽きまじ和歌の浦    あおくさ人のあらんかぎりは

   ※わたしの横に、いつも仏となった親鸞が立っていてくださる。

三〇〇    御遺言

香樹院語録 208―1

    安政五年正月二十三日、師京都に於て寂したまふ。壽八十有七。御遺言に曰く。人間に生れぬる大事は、たヾ後生の一つ也。誰れかこれを知らざらむ。然れども、よく知る人甚だまれなり。佛祖これがために大悲の胸を傷めさせたまふ。たヾ願くは念佛の行者、一味の志をもつて、自信教人信のつとめをなして給はらば、予がなきあとの喜び、何事かこれに如かん。得やすくして得難きは他力の大信、守り難くして守りやすきは信の上のつとめ也。    徳龍 念佛行者御中

    ※仏が涅槃に入る。

ただ、物を申せ

香樹院語録 207―2

    ▶87 一 蓮如上人、仰せられ候う。「物をいえいえ」と、仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。「信不信、ともに、ただ、物をいえ」と、仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と、仰せられ候う由候う。

    ※当時、庶民は字が書けないから、人と対話することで自分の考えを整理させるようにした。

二九九    臨末の御教誨

香樹院語録 207―1 

    聞いて樂しむ身の上が、云ふを手柄にするぞおかしき。云はぬを手柄と思ふなよ。聞き得たまヽを繕ろはず云ふて、なおしてもらへかし。聞いて覺へて、云ふことに骨折る人ぞあはれなれ。聞きうることぞ大事也。聞き得た上の樂しみは、拙き言葉でありながら胸のありだけ語りあひ、御慈悲喜ぶたのしさは、覺えた人は味しらず。忘れとうても忘られぬは如來をたのむ心也。

    ※仏法の話をすることほど楽しいことはない。