香樹院語録を味わう

江戸末期の真宗大谷派講師、香樹院徳龍師の語録を読んでまいります。

心得たと思うは心得ぬなり

香樹院語録 4―2

 ▶蓮如上人御一代記聞書より

 213 一 同じく仰せに云わく、「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰せられ候うと云々 されば、『口伝鈔』に云わく、「されば、この機のうえにたもつところの弥陀の仏智を、つのりとせんよりほかは、凡夫、いかでか往生の得分あるべきや」と、いえり。

 ※心得たと思うは、心得ぬなり。編者はタイトルにそのまま使っている。

 

三 心得たと思ふは心得ぬ也

香樹院語録 4―1

 ある人、私はいかほど聴聞致しましても、どうも、つかまへ所が御座りませぬ、と申し上げたれば、仰せに。そうであろう。おれは、つかまへられぬやうに云ふて居るのぢや。

 ※聴聞とは、わたしの心をよく観察して、わたしの心は仏にならないと聞かせていただくことです。勉強ではない。

徳龍師と蓮如教学

香樹院語録 3―3

 南無阿弥陀仏

 徳龍師は蓮如上人御一代記聞書を典拠にした話が多いが、明治期に清沢満之が現れるまでの真宗といえば蓮如教学であった。当然のこと、大谷派の講師、徳龍師もその流れを汲むものです。しかし、清沢満之の出現により大谷派の教学は根本的に変わることになる。その大きな違いは、蓮如上人はたのむ一念の後、すなわち仏恩報謝の念仏と来世の往生成仏を説くことが主だったのに対し、満之は信楽の前、すなわち信楽を獲得するまでの精神的な苦闘、すなわち自我の超克を説くことを主としたことです。自我に目覚めた近代人のための新しい教学の基礎を築いたのです。その門下に暁烏敏、曽我量深、金子大栄などが現れて、新たな真宗教学が確立した。善及

人にうりごころある

香樹院語録 3―2

 ▶蓮如上人御一代記聞書より

 83 一 「聴聞を申すも、大略、我がためとおもわず、ややもすれば、法文の一つをもききおぼえて、人にうりごころある」との仰せごとにて候う。

 ※聴聞を申すも、大略、我がためとおもわず。徳龍師はこういう謙虚のなさを叱っている。

 

二 表裏の不相應

香樹院語録 3―1

 法話を聞く僧に盗人あり。また俗にも盗人あり。其の故は、高座の傍に居ながら、信心の方をおしのけて、面白き言葉あれば、我が身法談の得分にせうとかゝる。是れ盗人なり。俗人は初に諸人をだまし、次に僧をだまし、次に佛をだます。その故は、佛法者らしき顔して參詣し、諸人にほめられようと思ふは、是れ諸人をだます也。僧の前に出で、口に綺麗に云ひならべるは、僧をだます也。しかして、その心中はみな佛をだまして居る也。これ佛法の盗人なり。

 ※顔は法を聞いている風。腹では別のことを考えている。聴聞になっていない。

仏法は聴聞にきわまる

香樹院語録 2―3

 南無阿弥陀仏

 なんのための聴聞かと言えば、われらは仏になるために聴聞する。聴聞して、信心をいただけば、仏となる身に定まる。だから、真宗では仏になるために聴聞する。ただ、みな同様に間違うのは、わたしが仏を信じることが信心だ、と思うことです。信心はわたしの心ではない。信心とは真心のことで、真心は真実の心、すなわち仏のお心のことを信心というのです。わたしの心は仏にならない。だから、仏のお心をいただいて、仏のお心でもって仏になる。これが他力の教えです。編者は徳龍師をして一番大切なことを一番最初に語らせた。善及

御慈悲にて候うあいだ

香樹院語録 2―2

 ▶蓮如上人御一代記聞書より

 193 一 いたりてかたきは、石なり。至りてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ。「心源、もし徹しなば、菩提の覚道、何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候うあいだ、信をうべきなり。ただ、仏法は、聴聞にきわまることなりと云々

 ※御慈悲にて候うあいだ。徳龍師はまったく同じ表現を使っている。