香樹院語録 11―1
疑ひと云ふものに、枝末と根本との二つあり。枝末の疑ひと云ふものは、親子夫婦兄弟などの中に、毎日毎日起りて、本に思はぬ事ぢや。根本の疑ひといふは、さつぱりとあかるうなりて、胸の中に、どうも虚言ぢやと思はれぬ様になられぬことぢや。たとへば、其の方の子は狐ぢやほどに、油断をするなと人が云ふたとき、どう思ふても我が産み落して育てた子なれば、狐ぢやとは思はれぬ。これ人の言葉に轉ぜられぬ也。
※仏のお心が届いて、仏のお心の中で暮らすようになれば、やがて、本願のお力が働きを現す。そうなれば疑おうにも疑いようがなくなる。