香樹院語録 4―3
南無阿弥陀仏
聴聞するうちに理屈で飲み込んでわかった気になる。心得たと思う。徳龍師はこういう学僧を嫌というほど見てきたに違いない。いくら上手に仏の説明ができても、生きた仏のお心をいただいたことにはならない。いくら信心を内側でこしらえても信楽の一念がないから、本願力は働きを現さないし、如実修行の仏道も開かれてこない。禅に冷暖自知と言うが、信に欠けたる人は仏のお心に抱かれる喜びもわからないでしょう。香樹院語録・第三章は短い法語ですが、如来回向の仏心、信心はあちらから届くもので、こちらで努力してこしらえることは出来ないものだと教えているのです。善及